協力・協賛

協力

ザ・サンフランシスコヨットクラブ/サンフランシスコ海事国立史跡公園/一般社団法人関西ヨットクラブ/新西宮ヨットハーバー株式会社/西宮市/古野電気株式会社

設計

横山 一郎

建造

ツネイシクラフト&ファシリティーズ株式会社

協賛

サントリーホールディングス株式会社

サントリーホールディングス株式会社 協賛社代表ご挨拶

私たちサントリーグループは、堀江謙一さんの「太平洋無寄港単独横断プロジェクト」に協賛し、活動を支援させていただくこととなりました。堀江さんと私たちサントリーの関係は、ここ数年という単位ではございません。1992 年に足漕ぎボート「マーメイド号」でハワイ・ホノルル~沖縄間の単独横断の挑戦をサポートさせていただいたことにはじまり、計6度の挑戦、四半世紀以上にわたり、サポートを継続させていただいております。
そして来年は、1962年に堀江さんが世界で初めてとなる小型ヨットで単独無寄港の太平洋横断を成功させてから、ちょうど60年の時を迎えます。その60年の節目に、堀江さんは、60年前と同じ寸法の小型ヨットでの太平洋横断に最高齢で挑戦するとのことで、私たちはその挑戦を再び支えたいと考えました。
1962年当時を思い起こせば、創業者の鳥井信治郎から佐治敬三の代となり、ビール事業への参入を決め63年に販売を開始、「やってみなはれ」の精神で新事業に進出した時代でした。以降、サントリーは「やってみなはれ」という価値観を原動力に様々な事業を展開しています。堀江さんは、初めて単独太平洋横断を成功させてから60年経った今でも「挑戦」「やり抜く」という志を貫いており、まさに、創業者の鳥井信治郎が申すところの「やってみなはれ」の精神を体現するような挑戦をされていると思っております。
また、人生100年時代と言われて久しいですが、堀江さんのいつまでもイキイキとして、情熱を持ってチャレンジする姿勢は、今の時代の世界中に元気を与えられる価値ある挑戦です。そのような堀江さんの挑戦を、サントリーは一番の応援団となり支援します。
最後になりますが、堀江さんには、この挑戦を心から楽しんでほしいと思います。航海の無事を祈ります。

ザ・サンフランシスコヨットクラブからのコメント

ザ・サンフランシスコヨットクラブの会員は、名誉会員である堀江謙一さんをお迎えできることを大変嬉しく思っています。
私たちは、堀江さんが次の冒険に出るまでの数週間、ご一緒できることを楽しみにしています。

サンフランシスコ海事国立史跡公園からのコメント

サンフランシスコ海事国立史跡公園は、日本の著名なヨットマンである堀江謙一さんとの関係を誇りに思っています。堀江さんは、ヨットの長い歴史の中で、太平洋の単独無寄港横断航海という驚くべき偉業を成し遂げました。

堀江さんは23歳の時、19フィート(約5.8m)の黒い合板のスループ「マーメイド号」で5,300マイル(約8,530km)の航海を経て、ゴールデン・ゲート・ブリッジまで到達し、世界を驚かせました。彼はパスポートもお金もなく、英語もほとんどわからない状態でサンフランシスコに到着したのです。

彼の偉業は、一瞬にしてサンフランシスコ市民の心と想像力を魅了しました。ジョージ・クリストファー市長は、堀江さんにビザと名誉市民の鍵を贈りました。

堀江さんは、サンフランシスコへの愛情を示すために、サンフランシスコに最も関係の深い帆船2隻をサンフランシスコ海事国立史跡公園の永久コレクションに寄贈して下さいました。

マーメイド号は、この公園のコレクションの中で最も人気のあるアイテムで、長年にわたって公園のさまざまな場所で展示されてきました。2014年に保存のために展示から外されましたが、その間、当園に収蔵されている200万点以上のアイテムの中で、一般の方からのリクエストが最も多かったのがマーメイド号でした。現在、マーメイド号と堀江さんの旅に関連するアイテムは博物館で展示されています。地図、海図、コンパス、救命胴衣などは、1962年の歴史的な航海の献身、冒険、忍耐を物語っています。

この一度きりの航海が生涯最大の功績となる人もいるでしょうが、堀江さんにとって、これは始まりに過ぎませんでした。堀江さんは、その後も数々の航海や海洋横断で、その技術を発揮しました。堀江さんは、太陽エネルギーを利用した船、波力を利用した船、リサイクル素材を利用した船など、環境に配慮したメッセージを発信し続けたのです。

2022年、堀江さんが83歳で再び日本から米国への太平洋横断に挑戦する準備をしていると聞き、私たちは興奮しています。私たちはこの旅を見守り、堀江さんの冒険と業の物語にこの章も加えていきたいと思います。順風満帆な航海を祈念しています。

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